過去の出来事って…
真夏の東北沢駅
高校3年生の夏休み、都内の予備校…河合塾で夏期講習を毎日受けていましたが、途中から校舎が下北沢に変更され、東北沢の駅で暑い昼間にホームで気分が悪くなりめまいの様な症状と吐き気に襲われ、座り込んでしまいました。意識はありました。
近くにいたおばさんが駅員さんに伝えてくれて、熱射病だろうと救急車を呼んでくれました。その日初めて救急車に乗って病院にもその日一日入院…これも初めてでした。お医者さんの診断では「熱射病」。そういう日だったので、なにも疑いなくボクもそれで納得しました。
でも、めまいや貧血ではなく暑くて人のいない駅のホームでパニック障害を起こしたのではなかったのか…今はそう思えてならないのです。そのトラウマで未だに駅のホームは怖くて行けません。トラウマというのは厄介なもので、「夏の」が徐々に外されて、「駅のホーム」がダメになってしまったのです。挙句、電車がダメになってしまいました。…さらに公共の交通機関がダメになり、今は自分で運転する車だけが遠出の道具となっています。
受験の面接で
大学4年の大学院の面接が8月の暑い日にあり、呼ばれた冷房がしっかりときいた部屋で猛烈な冷や汗と目の前が真っ暗になっていくような感覚になりそのまま倒れるのでは、という状況になりました。これも逃げ場のない部屋と、高校の時の夏のおぼろげな記憶が重なり、起こったものではないかと…。過去のトラウマが悪さをしていると当時は思いこんでいました。
もう駄目だ…そう思ったところで面接が終わり、部屋を出て何分もしないうちに平常心に戻ったのです。なんだったんだ…当時はそう思うしかありませんでした。
会社では何度も…そして結婚式でも
会社に入ってからも、顧客との会議室での打合せで同じような事を何度も経験しました。特に客先へ出向いたときに多く、今考えるとよく倒れなかったものだと不幸中の幸いであったことに後に気付かされました。客先で倒れたりしたら、双方に大迷惑をかけるところだったのです。そのころのそういった症状は季節や気温はすでに関係なくなっている状態だったのです。つまり「夏」が外れて、冬でも起こったのです。
とどめは結婚式のとき。神父様がしゃべっているとき猛烈な冷や汗、動悸、吐き気、目の前が真っ暗になりつつあり、手を差し伸べて「た・お・れ・そ・う・で・す…」そう言ったのを覚えています。急きょ椅子が出されて、座って指輪の交換などをした記憶が鮮明に残っています。椅子に座って短時間でその症状が無くなったのです。ところで参列してくれた人には、そういう形式、つまり椅子に座って行うタイプ、というものに見えたらしく、疑問を感じたひとがほとんど居なかったらしいのです。笑えない話ですが…。
その後の披露宴では頭痛が残っていたものの、平穏無事に終わることができました。
そういう症状は、数日に1度などということはなく、数週間に1度あるかどうか、という程度だったので、逆に治れば気にならなかったのかもしれません。それに、パニック障害という病気(ことば)の存在も知りませんでしたので。
パニック障害…それは言葉ではなく病気の名前
結婚後、妻と長女を会社が終わってから実家へ送り届け、自分だけは帰宅した時の夜、布団で寝ているのにどうしようもない心の状態に襲われたことがありました。立ち上がっても、動いても、動悸が収まらず、息苦しくなっていきました。理由も何もなく起こったその状態はそれまでとは環境も違うし、落ち着いた時には何が何だか分かりませんでした。このとき初めてパニック障害ということを意識しだしたのです。
その頃を少し長いスパンでみると、長女が1歳未満で仕事も家も極端に忙しかった時期でした。会社で忙しく、家に戻っても気持ちが休まらない…ボクは酒を飲まない・飲めないので、飲んで発散…みたいなことができず、心を休めるような時間がなかったのかもしれません。
それから次女が誕生して、いよいよ本格的に調子が悪い時が多くなってきました。微熱もあったし、前述の様な症状の頻度が上がったのです。寝ても覚めてもということではないのですが、頻繁でした。妻に話して、埼玉医大の「神経内科」へ診察してもらいに行きました。CTもとったし、色々な検査もしましたが異常はなく、広場不安、パニック障害ではないかと初めて言われたのです。
その診察で、初めてデパスという「精神安定剤」を処方され、戸惑った記憶があります。心を落ち着かせる薬なんて、生涯使うとは思ってもいなかったからです。1日3回、決まった時間に飲むようにと処方され、頑張って飲んでみました。なんのことはない、小さな薬の粒…気持ちが楽になった感じはしました。仕事子育てが忙しく、デパスは2年くらい飲み続けました。
